essay

蕎麦屋とお茶

 蕎麦屋でひとり、酒を傾けていたら、隣の席にいたご婦人おふたりが店員に声をかけた。
「すみません、お茶ください」
「はい、かしこまりました」
 そうか、この蕎麦屋はお茶を出すのかと思っていると、店員が湯のみを二つ持ってきてこう言った。
「蕎麦茶でございます」
 なるほどなるほど、よかった。緑茶を出すような店ではなく、蕎麦茶を出すわけね。ところがご婦人たち、
「緑茶がほしいんですけど」
 とおっしゃる。店員さんすかさず、
「緑茶はございません、蕎麦茶しか置いてないんです」
 と言って、さっさと引き下がる。しかし、そのあとご婦人方が怒っているのである。
「この店、緑茶も置いてないんだってよ」
 えっ、もしかして蕎麦屋では緑茶が出ない店もあることをご存知ないのだろうか。失礼だが、そこそこお歳の日本人がそんなことをおっしゃるなんて、日本はだいじょうぶだろうか。酔いにまかせてうっかり声を出しそうになったが、ぐっとこらえた。

 蕎麦にも緑茶にもタンニンが含まれているので、蕎麦を食べているときに緑茶を飲むと、蕎麦の香りが消えてしまう。それで蕎麦屋では緑茶が出てこない店が多い。お茶を出したとしても、この店のように蕎麦茶を出したり、タンニンの少ないほうじ茶、番茶、玄米茶を出したり、緑茶を出したとしても食後に限定したりする店も多い。蕎麦の名店、老舗では水しか出さない店も多い。違う言い方をすると、最初から緑茶を出すような蕎麦屋は、たいした蕎麦屋ではないことが多い。
 もちろん食には好みがある。それぞれの価値観がある。おいしく好きに食べればいい。だからと言ってなにをしてもいいわけではない。蕎麦屋と緑茶の関係にはこういう意味があることを、日本人は知っていたように思うのだが、最近はどうも違うらしい。

 さて気を取り直し、お支払いをして店を出ると、酔って火照ったほっぺに冬の夜の風が気持ちいい。寝過ごさずに電車で家にたどりつけるかどうか。まったく自信がないけれど、ま、こうしてほろ酔い気分で、きょうのできごとにぶつくさ文句を言いながらぶらぶら帰るのも、それはそれでまた楽しいんだな。

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