essay

たり

 たりが、おかしい。
 パリでも狩りでもなく、たり。君と見つめあったりキスしたりの「たり」。ま、一般的な例としては、踏んだり蹴ったりの「たり」ね。以前「だったり」について書いたけど、今回はただの「たり」について。
 通常は「飛んだりはねたり」「行ったり来たり」「飲んだり食ったり」「見たり聞いたり」「暑かったり寒かったり」など、「たり」を繰り返すんだよね。君と見つめあったりキスをして愛を深めたとは言わない。踏んだり蹴ったとは言わない。「煮るなり焼くなり好きなように」の「なり」や、「うれしいやら悲しいやら」の「やら」も同じだ。
 ところがところがどうだろう。巷にはこの「たり」を繰り返さない例がたくさんある。ま、話し言葉ではついうっかり仕方ないということもあるけれど、こんな例はどうだろう。

「点字ブロックの上で立ち止まったり、荷物を置かないようにお願いします」(JR東日本 ホームでのアナウンス)
「音楽を見つけたり操作するためのまったく新しい方法を生み出します」(Apple HomePod)

 これって録音だよね。録音したアナウンスやコマーシャルにもかかわらず「たり」の使い方が間違ってるんだよね。こういう公の場での間違いは、日本語を乱れさせるし、子どもたちに正しい教育もできなくなる。

 ところで、なんで「踏んだり蹴ったり」って言うんだろう。なぜ「踏まれたり蹴られたり」じゃないんだろう。という疑問は以前からあったもので、いまどきネットで検索すればいろんな説が出てくるのでそちらにまかせる。が、ちょっと思うのは「踏んだり蹴ったり」の発音。「踏んだり」のアクセントは「_−−_」ではなく、「−−−−」と棒読み、平板型なんだよね。どうしてなんだろう。通常使う「踏んだり」だけのアクセントとは明らかに違う。でも平板読みのほうが雰囲気がでる。リズム感がある。不思議。

 とかなんとか言いながら、きょうも蕎麦屋でひとり酒。隣に来た若者がせいろをたのむ。なかなかいい。そこまではいいのだが、席に座り、せいろを食べ、蕎麦湯を飲み終わるまで、ずっとスマホをいじっている。メールを打っているのか、なにかを調べているのか、動画を見ているのか、ゲームをしているのかわからないが、ずっとだ。「蕎麦を食べたりスマホを見たり」ではない。スマホを見ながら蕎麦を食べているのである。蕎麦のほうはほとんどみない。右手に箸、左手にスマホ。だから蕎麦ちょこも持たない。最近こういうシーンを見ることが多いし、こういうシーンを見て腹が立つ自分が歳取ったとつくづく思うわけだが、でも、食べている最中くらいどうにかならないものだろうか。というと、ある若者にテレビ見ながら食事しているのとなにが違うのかと問われた。うーむ、なるほど。ちょっと言い返せない。時代の移り変わりか。 

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