essay

かき揚げ天せいろの大盛

 仕事場の近くに、普段づかいにはちょうどいい蕎麦屋がある。せいろが500円、大盛無料。三食蕎麦でもかまわない蕎麦好きの僕が、ここ数年贔屓にしている店だ。仕事の都合で地方や海外に行っているとき以外は、たいがいここで昼をすませる。
少し太めで腰があってボリュームたっぷりの蕎麦は、午後のハードワークをこなすには十分満足できるもの。もちろん歴史がある有名店や、星のつくような著名店に比べれば、蕎麦もつゆも薬味も蕎麦湯も、ついでに店構えも見劣りするが、毎日ツルッと食べるには十分においしいうえ、なんと言っても安い。
 注文するのはたいがい「かき揚げ天せいろの大盛」。その日の気分でときどき浮気をするが、ほとんど「かき揚げ天せいろの大盛」をいただく。
 席に案内され、座るやいやな「かき揚げ天せいろの大盛」を注文。店員もたぶんわかっているようなのだが、儀式のように「かき揚げ天せいろの大盛」と繰り返す。きのうも「かき揚げ天せいろの大盛」。きょうも「かき揚げ天せいろの大盛」。たぶんあしたも「かき揚げ天せいろの大盛」。

 そんな日々のなかで、スターバックスに行ったときのこと。注文を聞かれて思わず言ってしまったのが「かき揚げ天せいろの大盛!」
「はい?!」
「あ、いや、キャラメルマキアートのショート」
「・・・・・」
 赤面! こんなことってあるのか。ところがまだつづく。

 打ち合わせに急ぐのでタクシーに乗ったときのこと。行く先を聞かれて思わず言ってしまったのが「かき揚げ天せいろの大盛!」
「はい?!」
「あ、いや、虎の門ヒルズまで」
「・・・・・」
 赤面! これはヤバい。食べ物屋で間違えるならまだしも、こんなところで間違えるなんて。

 少しだけだが、どういうときにこんなことを言ってしまうのか分析してみた。自分を分析しなければならないのも情けないが、分析したからといってたいした意味がないのも情けない。で、分析結果。
 まず、ひとりで行動していること。そして、日常であること。つまり特別な状況ではないので緊張感がないこと。さらに、知らないひとになにかを頼むとき。

 こんなウソみたいなホントの話があったと、同居している父に先日話したら、
「俺は国鉄(当時)の窓口で切符を買おうと思って、天津丼1枚と言ったことがある」
 とのたまった。
「え、毎日天津丼食べてたの?」
「いや、そのとき無性に天津丼が食べたかったんだ」
 なんと、やるな! 親父も。

 それにしても、これは遺伝か。息子よ気をつけろ!

Copyright (C) 2009 Ryu Sawachi. All Rights Reserved.