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応援しない歌

 「ガンバレ」「説教」や「ありがとう」ではない、共感とポジティヴなエネルギーを感じられるアルバム−−−一昨年発売された崎谷健次郎の「五線譜のメッセージ」というCDのコンセプトだ。
 崎谷健次郎といえば、知るひとぞ知るシンガーソングライター。音楽プロデューサーとしても作曲家としても活躍してきたスゴい方。
 なるほどっ! そうこなくっちゃ! よく言ってくれました!

 近ごろのJ-Popときたら、勇気をくれる歌、背中を押してくれる歌のオンパレード。つらいとき、かなしいときに、君を応援します。きっとあしたは一歩踏み出せる。負けないで、君なら大丈夫、がんばれ。みんなもがんばっているからね!
 そりゃあ、人生つらいこともあるよね。かなしいときに音楽聴いて癒されたいよね。僕だって作詞家のはしくれだもの、そんなみんなの気持ちを代表していくつもの応援ソングを書いてきたさ。先生なんて呼ばれて詞を教える立場のときには、ひとがハードルを越えてなにかを手に入れようとする姿にみんな感動するんだとかなんとか言っちゃって、そういうところに「そうそうあるある」っていう共感があるんだと熱弁をふるってきたさ。
 確かにそのとおり。どこも間違っちゃいない。音楽って、そんなふうに誰かを救うものでもあってほしい。
 でもね、でもでも、どうもそればっかりなのが近ごろのJ-Pop。アイドル系からアコースティック系、R&B系、さらにHip Hop系にいたるまで、言い換えれば、元気いっぱいの女の子グループも、ギター抱えたデュオのおにいさんたちも、日本人離れした歌唱力風のディーバとやらも、髭をはやしたコワモテのラッパーも、誰もが応援ソングを歌う。そう、みんな「いい人」っぽい。
 だけど、生きてることってそんなにつらいことばっかりだろうか。毎日毎日かなしいことばっかりだろうか。そんなに誰かに、がんばってって応援してもらわないと生きていけないだろうか。そんなに誰かに、だめじゃないかって説教してもらわないと道を間違えちゃうだろうか。そんなに誰かに、ありがとうってあたたかい言葉をもらわないと心が満たされないだろうか。

 いろんな歌があっていいんだと思う。もちろん応援ソングもあっていい。でも、ただただうれしいと叫ぶ歌、ただただ悲しいと泣く歌、なりふりかまわず思い切り誰かを愛しちゃう歌、なんでもない日常で小さな幸せを感じる歌、なにもしないでダラダラ過ごしてしまう歌。だれかを応援するのではなく自分の状況を真剣に歌うことで、ひとの心にうったえることがある。
 さらにつけ加えれば、必ずしも気持ちを歌わなければいけないわけではない。情景だけで伝えられることがある。状況だけで感じさせることがある。文章力のあるひとならそれもできる。言葉を選ばずに言うなら、ただただ気持ちを書くほうが、情景や状況で伝えるよりよっぽど簡単だ。思いだけでいいから、時間、場所などの理論構築をしなくて済ませることもできる。

 日本のポップスシーンが、もっとバラエティーに富んでいるといい。いや、いろんな音楽が存在していることは確かなのだが、流行るものがどうも同じようなものばかりでいけない。流行歌というだけに、そういうものなのだろうか。歌に限らず洋服でも工業製品でも、右へ倣え、ひとと同じが好きな日本では仕方ないことなのだろうか。経済が発展するためには、大量生産型の商品を売らなければ利益が出せないので仕方ないことなのだろうか。
 ジャンルや傾向はともかく「いいものはいい」という時代になるといい。「ガンバレ」「説教」や「ありがとう」ではない歌がすべてだとは思わないが、崎谷健次郎の「五線譜のメッセージ」のコンセプトは、いまの音楽業界に対するひとつのメッセージだったと思う。

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