essay

過信

 だいたいさあ、携帯電話を落として壊したり失くしたりするなんて、だらしない証拠だよね。ましてや洗面所やトイレに落として水に濡らしちゃうなんて、もうぜったい考えられない。そもそも携帯電話を契約するときによくついてくる「毎月数百円払うとなにかあったときに安く買い替えられます」的な保険の意味がわからない。「なにかあったとき」ってなんなんだ。なにもないですから。そんなサービス、必要ないない。
 と、きのうまで思っていたんだよね。そう、きのうまでは。ひとはそれを過信と言う。

 知り合いからオペラの招待券をいただき、その日は仕事のあと上野まで行く予定だった。チケットは2枚あったが、前の日に突然いただいたので一緒に行ける友だちの都合がつかず、さびしくひとりで行くことにしていた。計画通り着々と朝から仕事を片づけ、17時30分に仕事場を飛び出すつもりだった。
 17時15分には準備を整えていたのだが、そうだと思い、トイレに行っておくことにした。公衆トイレと同じように立って用をするところと個室とが別れているタイプで、ごく普通におしっこを済ませ、ごくごく普通に手を洗った。ところが、よし、と鏡のなかの自分を確かめたとき、ふと身だしなみが気になった。シャツをきちんとズボンに入れ直そうと思って個室に入った。
 ズボンをさげる。
 シャツを直す。
 ズボンをあげる。
 ベルトを締める。
 その瞬間。
 ジャケットの内ポケットに入れていたiPhoneに腕があたる。
 ポチャ。
 ・・・・・・
 あああぁぁぁっ。
 まるで生きている魚のように、見事ストライクで便器の中央にiPhoneがダイブ。
 なにが起きたのかを理解するのにかかった時間が、ほんのコンマ何秒か。
 なんのためらいもなく便器のなかに突っ込む自分の手を、スローモーション映像でもうひとりの自分が見ている。
 そして、ものすごい動揺と裏腹に、頭の片隅では冷静にまったく別のことを思う。
 こういうとき、ひとってなんのためらいもなく便器に手を突っ込めるものなんだな。
 それとも、用を足していなかったからためらいなく手を突っ込めたのかな。

 トイレットペーパーであわててiPhoneを拭き、イヤフォンジャックにも紙を突っ込んでなんども水気を取り、そして僕は、途方に暮れる。大沢誉志幸の歌かぁ。この歌は銀色夏生の詞だったなぁ。いやいや、そんなことを言ってる場合じゃない。トイレからデスクにもどり、タオルやティッシュでできる限りに水気をとり、こんなときどうしたらよいのかをネットで調べ、ひととおりのことをやって、電源を入れてみる。
 だめだ。ときどき入るけれど、すぐに液晶画面が黄色と黒のシマシマなってしまう。おまえは阪神タイガースか。ちがう。正確に言うと、慶應のラグビー部か。せつない縦縞の模様だ。僕の心は横シマだ。ああ、あわてたり、困ったりしたときほど、くだらないことを考えてしまうのはなぜろう。
 しかし、そのうち電源すら入らなくなってしまう。
 ふと時計を見ると、17時45分。いまならまだ間に合う。iPhoneのことは捨てて、上野に急げば間に合う。しかし、1年半つきあってきた相棒をこのまま捨てるというのか。iPhoneとオペラを天秤にかけている自分を苦々しく思う。いまここでコイツのことを捨てたら、しばらく連絡が取れないひとになってしまう。修理して直るのかどうかもわからないが、どう考えても簡単に直るとは思えないから、きっと何日か携帯電話のないひとになってしまう。しかもあしたも仕事は忙しいから、いつ修理に持って行けるのやら。
 5分後、仕事場に近いau shopをネットでさがしていた。運良く、すぐ近くにあった。そしてさらに5分後、そのau shopで機種変更の契約をしていた。契約終了30分後、行きつけのバーで、がっくり肩を落として事の顛末を話す疲れた男の姿があった。

 さて翌日、会うひと会うひとにこの話をしたら、予想外に盛り上がるじゃないか。これはなかなかイケるじゃないか。Facebookやブログのネタにもなるじゃないか。もちろん、このエッセイのネタにもなるじゃないか。しかも、思いもかけずiPhoneが新しくなってしまったじゃないか。今度の相棒は指紋認証だってできるじゃないか。
 うん、これはラッキーだと言えなくもない。こんな僕は、ポジティヴなのか、バカなのか、それともこれもまた過信なのか。

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