essay

プロフェッショナルな匿名性

 パリの老舗ブランドのシャツ職人の言葉。
「袖を通したとき、わたしの顔が浮かぶようでは失敗作なのです」

 その老舗は、上流社会の仲間入りをしようと思ったときに、必ずその門を叩かなければならないほど格式のある店。そんな店が仕立てる服の品質や着心地以外で、とても大事にしていることが匿名性なのだという。既製服は、つくり手の顔が浮かんではいけない。普通の人に見破られず、でもわかるひとにだけわかるのだと。
 また、こうも言う。100人のネイビースーツを着たひとのなかで、同じ色のネイビースーツを着て抜きん出ることが大事で、純白のスーツを着て目立つのは野暮だと。それはエスコートする女性のことをなにも考えていないことにつながる。

 作詞家にも似たところがあると、僕は日頃から考えている。
 歌は作詞家のものではない。作詞家の言いたいことやエゴでつくってはいけない。この歌手だったらどんなことを言うだろう。この歌手がどんなことを言えば、リスナーは共感をするだろう。そんな気持ちを無視して、自分自分とでしゃばって、奇をてらった作品を書くのはそれほど難しいことではない。歌手やリスナーの気持ちを考えて、良い生地、良い仕立て、良いデザインのネイビースーツをつくることが重要なのではないだろうか。

 そして、これはなにもシャツ職人やスーツ職人や作詞家に限ったことではないのではないかとも思う。建築家でも、庭師でも、陶芸家でも、工業デザイナーでも、同じようなことが言える場合があるのではないか。

 歌手でも、シンガーソングライターでも、プロデューサーでも、プランナーでもなく、でも歌手の、シンガーソングライターの、プロデューサーの、プランナーでの、そしてリスナーの気持ちのわかる作詞家の道は、まだまだ遠い気がするけれど、プロフェッショナルな匿名性を目指して、また上り坂をゆっくり歩きはじめようか。  

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