essay

勝負はそこから先

 当たり前だが、歌詞というのは音に伴っている詞のことである。今さらそんなこと言われなくても誰でも知っている。
 ところが歌詞を作るという立場になったとき、この当たり前のことができない人がたいへん多い。僕が作詞を教えている講座で、初めての生徒さんが字数を一文字も間違えずに書いてきたということは、残念ながらほとんどない。何度も授業を受けている生徒さんでも、できない人が半分以上だ。なぜだろう?

 Jポップのほとんどは、曲が先に作られて、あとから曲に合わせて詞をのせるという作業をして制作される。作詞家には、音源しか渡されず譜面がないことが多いし、歌のメロディーもわかりにくいことが多い。ヴォーカルが聞きとりにくことや、歌メロを楽器で代用しているためニュアンスが理解できないことがよくあるし、もっとひどいのは1番と2番で(わざとではなく)字数が違うこともある。
 それでも作詞家は締切日までにきっちり詞を書いて提出しなければならない。どうしてもわからない時は質問してしまうが、一文字の間違えも許されない。一文字でも違っていたら、それは歌詞ではない。散文詩と同じだ。

 曲に字数が合わせられないという方には、どうもいくつかパターンがあるようだ。

 まず、合わせる気がなかったという人。
 こういう人は簡単だ。合わせればいい。それだけ。
 「少しくらいいいんじゃないですか」とか「ここはひとつの音符に二文字入れて歌うんです」なんておっしゃる方が時々いる。だめです。それは作曲家に対する冒涜です。作詞家は作曲家ではないのでそんな権利はありません。
 Mr.Childrenデビュー以降、特にひとつの音符に二文字入れるというパターンは多い。もちろんミスチルが悪いのではない。彼らはそういう作り方をしているのだ。ひとつの音符に二文字入っているように聞こえるような作り方を。でも本当はそこにはふたつ音符があるわけで、それを勘違いしている人が多いこと多いこと。

 次に、合わせようと思っているし、合っていないことはわかっているんだけど、ぴったりくる言葉が思い浮かばないという人。
 こういう人も大丈夫。努力すればいい。がんばってください。それだけ。
 言葉の数や、フレーズの数を増やすことも大事だけれど、実は気持ちの問題。生きるか死ぬか、ここでできなければ次の仕事はないと思ってがんばれば絶対にできる。

 問題は、自分が書いた作品の字数が合っているのか合っていないのかわからないという人。違う言い方をすると曲が覚えられなかったり、曲の字数を数えることができなかったりする人。
 こういう人はなかなか難しい。冷たい言い方をすると、言葉ではなく音楽の能力が足りないわけで、プロの作詞家になることはあきらめたほうがいい。趣味で書くのならば問題ないかもしれない。でもプロの作詞家になるためには、まず音楽の勉強をすることから始めたほうがいい。ただ音楽はかなり生まれつきの能力というのがあるので、かなりの時間と労力がかかるだろう。
 どんなに文章がうまく書けても、言葉をたくさん知っていても、それだけでは作詞家にはなれない。作詞家はやはり音楽家だと思う。音楽のことが全くわからなかったり、歌心のない人はプロの作詞家にはなれないだろう。プロの作詞家がみんな譜面が読めるわけでも、楽器ができるわけでもないし、それぞれに強み弱みはあるが、ただある程度音楽の力は持っているということだ。

 僕は字数のことで苦労をしたことはない。曲も一回とは言わないが、だいたい二、三回聴けばおおよそ覚えられるし、あとは字数を数えて書くだけ。決められた字数のなかで言葉をさがしたり、フレーズを考えたりする作業は結構楽しい。
 でも、そんなことは偉くもなんともない。これで人の優劣が決まるわけでもないし、人それぞれ得意分野がある。その分野でそれぞれがんばればいい。それに字数がとれたからといっていい詞が書けるわけでもなく、勝負はそこから先だ。

 そう、字数が合っていて当たり前。
 勝負はそこから先だ。

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