essay

届かない人々

 スタジオが好きなんだよね。プロ用の音楽レコーディングスタジオ。美しさ、匂い、空気、緊張感。教育されたスタッフ、きれいに並んだ機材。もちろん素晴らしい音、そして才能豊かなエンジニアやアーティストたち。

 作詞家って、書く時は一人なんだよね。もちろん打ち合わせで人に会うこともあるし、レコーディングに立ち会うこともある。でも場合によっては電話やメールで仕事請けて、FAXやメールで提出して、ハイおしまいっていう仕事もあるんだよね。これってまったく人とのコミュニケーションがなくてつまらないんだよ。一発OKだったりすると逆になおさら。うれしいようなつまらないような。
 もともと物書き寄りではなくミュージシャン寄りなポジションから作詞家になったせいか、とにかく音楽を作りたいっていう気持ちが強いんだよね。だからレコーディングに立ち会って、いろんな人とコミュニケーションとって、みんなで音楽作ってるなぁーっていう実感が味わえるのがたまらない。そもそも音楽って一人で完結するものじゃなくて、伝え合うもので、コミュニケーションだしね?
 よくさぁ、作詞家なら一人で仕事できるから、人と接するのが苦手な私には向いてるんじゃないかなんて言う人がいるけど、大きな間違いだと思うよ。仕事だって芸術だってみんな人とのつながりなんじゃないかねぇ?

 で、まぁそんなふうになにかとスタジオに顔を出していると、驚いたり感動したりすることがいろいろあるわけよ。

 ある日スタジオのドアを開けたら、僕の大好きなアレンジャー清水信之さんが、キーボードがんがん弾きながらニコっと笑って「こんにちはー」ってあいさつするのさ。そりゃあ尊敬する大先輩に先越されちゃいかんと、こっちもきばってあいさつしたさぁ。なんかクラビ系の音で、かなり速いバッキング弾いてたっけ。なに遊んでんのかなぁーなんて見てたんだけど、弾き終わって言ったひとことに驚いたねっ。「ハイ、今のオッケーっ!」だって。えっ?えっ? もしかして、今レコーディングの最中だったわけ? 唖然としてたのは僕だけで、ご本人はケロっと次の作業に移っていったけどね。

 CHAGEさんやASKAさんとはかなりご一緒させていただいたけど、ASKAさんてすごく喉が強いんだよねぇ。生まれつきの強さもあるだろうけど、当然発声法がしっかりしているから。で、だから、歌入れをかなり長い時間できるんだよ。夜中じゅう歌入れしてたような記憶もかなりある。しかもピッチやリズムが正確だから、同じメロディーをユニゾンで録ってパワー感を出すようないわゆる「ダブル」で録っても、あまりにも正確だからダブってるように聴こえないんことがあるんだよんね。だから、意識的に少しずらしてダブルに聴こえるようにしたりして。へー、プロは違いまんなぁってよく思ったよ。
 CHAGEさんはCHAGEさんでさぁ、誰とハモっても綺麗に聴こえるんだよねぇ。なんなんでしょうね、あれは。あの声と話のおもしろさは天が与えたものだね。

 おそれいったのは郷ひろみさん。実は僕が書いた詞の一ヶ所がちょっと歌いにくかったわけさ。すかさずディレクターが「ここ詞変えましょうか?」ってあわてる。そりゃそうだよなぁ、こりゃしょうがないよなぁ。ところがひろみさん、ブースから出てきておっしゃるわけよ。「もう一回やらせてくれ」って。「この言葉がいいんだよね? 澤地くん! この言葉を変えたら意味がないよね。がんばるよ!」って。ハハーっ。土下座しようかと思ったね。あの天下のHiromi Goにそんなこと言われちゃったら参るさ。もちろんひろみさん、次の一発で決めたね。でもさ、やっぱり歌いにくい詞を書いちゃいかんってあらためて深く思ったね。

 パーカッションのペッカーさんがディレクションしてたアルバムに何度か詞書かせてもらったんだけど、ペッカーさんがそこらに転がってるコップ叩いたり、お菓子の袋振ったりしてリズムとって遊んでるわけよ。これがさぁー、すっげーかっちょいいの。下世話な言い方するとグルーブしてるわけ。弘法筆を選ばずって言うんですか? 僕にはわからないスペイン語だかポルトガル語しゃべったりしながらね。

 僕が最初にお世話になった事務所に、当時中村三郎さんっていうエンジニアがいてね、すごい人なのにとっても低姿勢でいい人なわけよ。年下の僕をいつも「澤地さん」ってさんづけで呼ぶし。で、ある時その事務所にあったスタジオに入ったら、卓いじって音作ってる−つまりミキシングコンソールのつまみをいじって、音のバランスとったり加工したりしてるんだけどさぁ、なんと踊ってるわけよ。踊りながらやってるわけ。当時は今と違ってもう部屋いっぱいの巨大なコンソールで、つまみなんか目がくらんじゃうくらいたくさんあるんだよ。なのに、音に合わせてステップ踏んで、ターンとかまできって、おまけに愛想よく僕にあいさつなんかカマしたりしながら、ちょいちょいってつまみいじって、平然とした顔で仕事してるんだよね。呆然としたね。それから笑ったね。それから感心したね。それからこわくなったね。この人、ナニっ!?

 そうそう、ある会社のコーポレートソングを書いたことがあったんだけど、なんかメンバーがすごいわけよ。プロデューサー、ディレクター陣は当時のCHAGE & ASKAと同じだし、アレンジャーもミュージシャンもエンジニアも超一流。で、今時の打ち込みと違って、ギター、ベース、ピアノ、ドラムをせーのでもちろんちゃんと生でまず録るわけさ。もうさぁ、本番始まる前にちょこっと遊びでセッションしている音すら録音して売り出しちゃいたいくらいかっこいいわけさ。で、いざ本番。当然一発オーケー。一回みんなで聴いてみよっか。で、聴いた。うーん、やっぱり素晴らしい。なんの問題もない。ところがさぁ、ピアノの中西康晴さんが、「ごめん、一ヶ所だけやり直させてくれ! 一音だけちょっと気に入らない」って言うわけさ。え?どこどこ? 一流のスタッフと一流のミュージシャンがみんな顔を見合わせたさ。でも、ま、本人がそう言ってるんだから納得するまで。っていうんで一ヶ所だけ録り直し。パンチイン。ブースから満足気に出てきた本人は「よしオッケー」って言うわけよ。えっ?!どこが変わったの? 全然わからない。弾き直したことすらわからない。またまた全員でポカンと顔を見合わせたね。一流どころでもわからない微妙な違い。超々一流のやることは、凡人の僕にはもちろんまったくわからなかった。

 実はこんな話をしだしたらきりがないんだよね。一流のミュージシャンやエンジニアは、僕たち一般人には聴こえない音が聴こえたり、わからない音の違いがわかったり、気づかないテンポの違いに気づいたりする。
 そう言えば、昔一緒にバンドやってた時のキーボードの女の子が桐朋音大を主席で卒業してて、当然絶対音感なわけよ。音源と市販されてる譜面渡してコピーしといてなんて言うと、次にスタジオ入った時「この譜面間違ってる」とかっておっしゃるわけさ。「ここのコード絶対Dの音も入ってる」とかって。彼女コード知らないのさ。でも全部耳で感じちゃうんだよ。茶碗叩いても、机叩いても「それはF」とか「それはGis」(クラシックだからね)とかって言ってた。すっげーって手叩いてたけど、こっちは合ってるのか間違ってるのかもわからない。世の中音階で聴こえるらしい。それでも今は子供にピアノ教えてる先生さ。世の中にはそんな人たくさんいて、ミュージシャンやアレンジャーもそんな人だらけ。たとえ絶対音感があってもプロになれない人もいるし、コードがわからないけどプロになっている人もいる。そんな人たちを見て、僕は絶対ミュージシャンにはなれないって若かりしある日思ったね。よかったよ、早く気づいて。

 この間も僕がディレクションしてたレコーディングで来てくれたサックスの人が、スタジオに入ってくるなり「あれ? これ440じゃないでしょ?」って言うわけ。つまりAのピッチが440Hzじゃないでしょ?っていうわけさ。当たり! そうなんだよねぇ、1Hzの違いくらい朝飯前にわかるんだよねぇ。

 あー、届かない人々。

 こんなにステキな人たちと同じ空間で仕事をさせてもらっているのかと思うと、緊張するし、ワクワクするし、気が引き締まる思いだよ。こっちも一応「詞」のプロ。ミュージシャンが気づかない言葉に気づいてる・・・つもりではいる。
 街を歩いていても、テレビを見ていても、人と話していても、いろんな言葉の間違えに「赤」で校正している自分が時々つらくなるんだよねぇ。これって世の中が音階で聴こえる絶対音感の人と同じ? うーん、ちと苦しい。いやいや、かなり違う。
 でも、この間「校正記号の使い方」(日本エディタースクール編集)っていう本を見つけて、意味もなく思わず買ってしまった。525円なり。

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