essay

選ぶ人

 本当のディレクターが少なくなってしまった。
 ディレクターと名乗る多くの人がセレクターになってしまった。
 何を作りたいのかというビジョンもなく、オリエンテーションもなく、集めたものの中から良いものを選ぶ。安全を見込んで必要以上に多くの素材を集める。集めたものを議論したり、作り直したりしながら、より良いものにしていこうという作業もない。ましてや、人を信じてまかせたり、人を育てたりということなど考えられない。
 こういう人はディレクターではない。セレクターだ。選ぶ力があれば、まだましなのだが・・・

 趣味や遊びではなく、あくまでプロとして、つまり仕事としてものを作るサイドの人であれば、好みはあっても、こういうものしか作れないなどということはありえないだろう。こういうものしか作らないならということはあったとしても。従って、なんのオリエンテーションもなされない発注に応えることは難しい。それまでのつきあいがあって、あうんの呼吸がある場合もないことはないし、作りたいものを作ってくださいという場合だってあるが、そういう場合は完全に個人指名である。コンペなのに発注する側からのオリエンテーションが乏しいことが多くなったはなぜなのだろう? もっと言えば、コンペが多くなったのはなぜなのだろう?
 本当のディレクターが少なくなってしまった。
 ディレクターと名乗る多くの人がセレクターになってしまった。

 決して仲良しグループで馴れ合うわけではなく、気持ちや価値観が似た同じ志しを持った人たちと、2年ほど前に音楽制作会社を設立した。仕事の大小にかかわらず、つまり予算の大小にかかわらず、もうかるかもうからないかにかかわらず、とにかく信じ合える人たちと信じられる音楽を作ろうということだ。もちろんボランティアでも、金持ちの道楽でもないから、赤字にならないことは最低条件。
 おかげでいくつかの仕事もいただき、仲間も増えてきた。調子に乗ってCDレーベルも立ち上げ、第1弾のマキシシングルも発売できた。(竹内のぞみ「ドルチェ」7月28日 ON SALE)

 発注する立場にも発注される立場にもなってよくわかることがある。さてさて、自分はただの選ぶ人にはなっていないだろうか。なんのために音楽を作っているのだろうか。なんのために物づくりをしているのだろうか。
 答えは簡単ではないけれども、やってはいけないことと、どんどん取り入れるべきことと、しっかりと見極める努力をしながら、右へ行ったり左へ行ったり、転んだり起き上がったりしながら、少しずつでも前へ進んで、誰かに感動を与えられたらいいなと思う。
 ただの選ぶ人にならないように気をつけながら。

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