essay

黒皮の手帳

 そう言えば、僕は手帳が好きだ。
 と言うと、今さら思い出したようになんだと思われるかもしれないが、その通り、今さら思い出したのだ。
 来年の手帳を決めるのに一ヶ月も探し回った。なんでこんなに手帳にこだわるのだろうと考えてみたら、そう言えば、僕は昔から手帳が好きだったんだと気がついた。

 思い返してみると、それは高校生の時に始まったような気がする。
 どちらかと言うと、空想癖と整理魔の傾向が強かった僕にとって、明日以降の予定を決めることはかなり楽しい作業だった。まだ手帳なんて物を持たない高校生の頃から、授業中、ノートの隅に自分でカレンダーを書いて、細かくスケジュールを書いていた。もちろん高校生の身分でそんなにスケジュールが詰まっているわけはなく、書くことと言えば、デートの予定と、バンドの練習の予定くらい。それでもああでもないこうでもないと、予定と言うより希望に近い項目を考えて埋めていく作業は、この上ない授業中の楽しみだった。バラ色の人生が広がっていくような気分だった。
 科目が変わるとノートも変わる。だからまたゼロからカレンダーを書いて、さっきと同じ希望に近い予定を書いていく。次の日になると、多少予定が変わったり、多少希望が変わったりするので、またゼロからカレンダーを書いてスケジュールを作る。実行されることの方が少ないスケジュールは、どんどん予定が狂うので、またまた書き直さなければならない。あー、なんてわくわくする作業なんだろう。

 そんな僕のことを、じっと見ていたヤツがいた。一学年18クラスもあり、しかも毎年クラス替えをする高校で、不思議なことに三年間も一緒のクラスだった藪内だ。高校生の分際で、倉敷から出てきて、東京は代官山のマンションに一人暮ししていた彼とは、なんとなく気も合って、みんなからは「お前らホモじゃないのか」と言われたほど、いつもつるんでいた。藪内が倉敷の実家に帰っている休みの間には、何度かおしゃれな代官山のマンションを借りて、女の子と親密になった記憶もある。(結局藪内とは大学でも、学部も学科も専攻もずっと一緒だった)

 前の席に座っていた藪内が、ある日突然振り返って言った。
「お前、そんなことばっかりしてて、楽しい?」
 えっ!? これって普通じゃないの? みんなはこういうことして楽しくないの?
 いろいろな思いが瞬時に駆け巡ったが、
「うん、楽しい」
 としか言えなかった。
 そうか、僕っておかしいのだろうか?

 社会人になって、ようやく手帳というものを持つようになると、当然手帳そのものにこだわるようになった。ただ予定を書き留めておくだけでなく、眺めているだけでも夢の膨らむ手帳は、お気に入りの物でなければならない。ましてや一年間使う物となれば、もらい物の手帳なんて言語道断。毎年デザインと機能にこだわってきた。

 今までを振り返ってみると、同じ種類の手帳を三年くらいは使っている。三年もするとデザインにも飽きてくるし、仕事の内容や考え方も変わってきて、求める機能も違ってくる。
 それが今回だった。
 仕事とプライベートと別々に書ける予定表がほしい。メモを書くページもなるべくほしい。電車の路線図なんかもついているといい。もちろんデザインにもこだわりたい。
 ところが、なかなか好みの手帳が見つからない。伊東屋も丸善も高島屋も三越も駅前の文房具屋も、時間さえあれば、いや、時間を作って、この一ヶ月間ほとんど毎日のようにあっちこっち探し回ったが、希望の物が見つからなかった。あー、ダメだ! いっそ、自分で作ってしまいたい! ん? 自分で作る・・・自分で作る・・・ そうか、それってシステム手帳?

 しかし、実はシステム手帳にはもううんざりしていた。その昔バブルの頃、流行りもあって、一時大きなシステム手帳を嬉しげに持っていた。最初はイギリスFILOFAX製の黒いヤツ。その後イタリアBEPPE SPADACINI製の茶色いヤツ。自分好みにアレンジできるのはよかったが、何しろ大きくて重い。それが嫌になって、やめたという経験がある。
 待てよ! あの頃と違って、今はもっと小さなタイプもあるんだ! 今頃気がつくなんて!

 バイブルサイズの黒皮のシステム手帳に決めた。中身も自分の思いのまま。路線図だって入っている。在庫がどこにもなくて、メーカーから取り寄せてもらい、さらに待つこと一週間。ようやく好みの手帳ができあがった。合計約一万五千円也。これで三年は手帳に悩まなくて済む。

 さて、ここからがまた楽しいんだ。ああでもないこうでもないと、空白のページを見て夢見る日々。

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