essay

加藤さんはスゴイ!

 クルマの運転をしていると、アタマにくることが多い。
 特に、合図を出さない人がいること。停車する時に、ハザードランプを使わないのが不思議でならない。ウィンカーを出されても、後ろのクルマはわからないではないか。
 あー、まったく、ほんとにもぉー。
 と、ついイライラしてしまうのは、きっと僕だけじゃないはず。
 でも、昔こんなことがあったんです。

 加藤さんはベーシストである。爆風スランプの前身であるバンドのひとつ、バップガンのベーシストでもあった。今は仕事の都合でアメリカにいる。二人目の子供が生まれたばかりで、先日も幸せそうな写真をいただいたばかりだ。綺麗な奥さんと、一姫二太郎というなんともうらやましい家族構成。おまけに背は高く、声はよく通り、明朗快活、さらに英語ペラペーラ。僕は加藤さんの前ではいつも、「ごめんなさい」「たのむから許して下さい」「僕がみんな悪かったです」という状態なのである。そのわりにお前は偉そうにしていると言われるかもしれないが、気持ちが素直に態度に出ないタイプなもので、心ではホントにそうなのさ。

 その日は朝から雨だった。スタジオにレコーディングに行ったのか、当時遊びで一緒にやっていた15人編成のバンド「有楽町提灯行列団」のリハーサルに行ったのか、はたまた近所の楽器屋にサンダルひっかけてぶらっと楽器でも見に行ったのか、全く覚えていないのだが、とにかく、加藤さんがクルマで迎えに来てくれて、僕を助手席に乗せて、まるで休日のデートのようにラリホーとどこかへ出かけた。
 家を出て、2、3分。横浜の本牧通りを走り出してすぐのこと。バリバリにファンキーーーっなCDを奥ゆかしくボリューム小さめにかけ、さわやかな白いコロナは、ゆっくりと赤信号で止まった。
 ここで言っておかなくてはならない大事なことがある。加藤さんは意外にも、僕がちょっとイライラしちゃうくらい運転が慎重なのである。スピードは絶対に出さない。道は絶対に譲る。無理な進路変更は絶対にしない。教習者が走っているのかと思うくらいで、まさに見本のような運転なのだ。クルマに乗せてもらうたびに「ごめんなさい」「たのむから許して下さい」「僕がみんな悪かったです」という気持ちが、何倍にも、何乗にもなってしまうのである。
 ところが、その赤信号で止まると、後ろのクルマからいかにも「今工事現場から帰ってきました」風なおにいさんが、わざわざ雨降る中をツカツカと降りてきて、運転している加藤さん側の窓をドンドンと叩き、文句を言いだした。閉まった窓越しで、何を言っているのかよくわからなかったが、誰がどう見ても、明らかに顔を赤くして怒っていた。
 僕は、一瞬何が起きたのかわからず、身をこわばらせていた。何かクルマ同士の行き違いがあったのだろうか? 状況からして、割り込んだりしちゃったんだろうか? しかしそんな記憶は助手席の僕にもない。おかしいなあ。でもこっちは二人。向こうは一人。やるならやったろうじゃねーか、おうおう。なんて考えていると、加藤さんはゆっくりと窓を半分くらい開けた。
「すみませーん。ごめんなさーい」
 なんと、いつものように好青年丸出しのさわやかさで謝ったのである。なーんだ、そういうことか。いくら安全運転していたって、そりゃあいろいろあるもんね。加藤さん、思いもかけずなんかやっちゃったわけね。自分から謝ってるんだから、きっとそうだ。僕が気がつかなかっただけなんだな。
 すると、怒りに燃えていたその人は、さっさと自分のクルマに戻った。まるでなにごともなかったかのように、青信号とともに、加藤さんのクルマも、スルスルと窓を閉めながらさわやかに走り出した。
「どうしたの? 加藤さん。なんかあったの?」
 ところが、意外にも、加藤さんはこう言った。
「知らなーい」
 えっ! だって今、謝ってたじゃーん。だってだって。なんでなんで??? いったい何が起こったっていうの?
「よくわかんないけど、いざこざ起こしたくないから、とりあえず謝っておいた」
 あー、加藤さん! あなたっていう人は!
「で、あの人、なんだって言ってたの?」
「知らなーい」

 あれから、僕は我慢することを少し覚えた。譲ることを少し覚えた。不必要ないさかいをするかっこ悪さを少し覚えた。
 でも、まだあんなにさわやかにはできない。我慢してるんですーという気持ちが、顔にも体にも全面的に出てしまう。

 加藤さん、やっぱりあなたはスゴイ! ごめんなさい。

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