essay

きれいな空が広がった

 毎年秋に地区の運動会がある。十にもおよぶ町内会が競い合い、点数を争うのである。
 我が町内会は、最後に行われるリレーの結果が良くないため、準優勝まではくい込むもののなかなか優勝できなかった。
 僕はいい年をしてこのリレーに立候補した。そして、今年こそはと闘志を燃やしていた。
 このリレーは男女各四人の計八人で行うのだが、小学校の狭い運動場で十ものチームが競うため、追い抜くのが非常に難しい。従って、前半で勝負が決まってしまうことが多い。
 いよいよ前の競技が終わり、選手たちが集まり始めた頃、男性が一人足りないと言う。時間がない。誰か走れる人はいないだろうか。
 その時、小さな少年が手を挙げた。
「僕、走ります。学校では早い方です」
 まだ中学一年生だというのだが、胸を張る姿を見て、僕は少年のやる気を買った。そして、たぶんもう勝負が決着しているであろうアンカーを任せた。僕は第七走者となった。
 スタートのピストルと共に、十人の選手たちが走り始めた。一位でカーブを回った。と思ったのもつかの間、バトンを落とした。これで僕の読みが大きく狂ってしまった。その後ビリから追い上げたものの、僕がバトンを受けた時には五位。上位チームは団子状態で、アンカー勝負となってしまう。少年に負担をかけてはいけない。僕は懸命に走った。どうにか二人抜き、三位でバトンを渡した。少年の背中に気持ちを送り、あとは天に祈った。
 しかしやはり無理であった。少年は次から次へと抜かれ、ずるずると順位を下げていった。結局、何位でゴールしたのかもわからなかった。僕は急いで少年のもとに駆け寄った。
「よくがんばった。よくやったよ」
 しかし、少年の目は悔し涙でいっぱいだった。走る順番を決めた僕にも責任があった。
「一年鍛えて、次の運動会で見返してやれ」
 少年は泣きながらうなずいた。
 翌年、少年は現れなかった。その翌年も、そのまた翌年も、やはり来なかった。その間、リレーで好順位に入ることができず、総合成績で準優勝か三位の結果が続いていた。

 あれから五年が経った。朝から秋晴れとなった運動会当日、その少年がひょっこり現れた。高校三年生になった彼は、もう少年ではなかった。鍛えた体を揺らし、瞳を輝かせていた。そして、僕と目を合わせると無言でうなずいた。
 その日、我が町内会は絶好調だった。最後のリレーを残した時点で総合成績一位。あとはリレーしだいである。僕はもちろん彼をアンカーに命じた。しかし五年前とは意味が違う。年々各チームの力が接近してきており、勝負どころが後半になってきているのだ。
 上位で抜きつ抜かれつしながら、第七走者の僕がバトンを受けた時は三位だった。一人抜いて二位に上がり、彼にバトンを渡した。もうあの日の走りではなかった。気がつくと僕は我を忘れて、声援を送っていた。
 結果は、惜しくも二位であった。前の選手に迫ったものの、わずかに届かなかった。しかし、彼は一つの仕事をやり終えた大人の顔をしていた。ゴールした彼に近づき、手荒にお尻をたたいて声をかける。
「よし、いいぞ。よし」
 それ以上声がでなかった。彼は胸を張って、小さく微笑んだ。五年前とは逆に、僕の目に熱いものがこみ上げた。
 念願の総合優勝を果たした我が町内会は、全員でいつまでも万歳を繰り返した。

 少年は僕との約束を一年では果たせなかった。しかし、約束は破られたのではなかった。時間はかかったが、きっちり約束を果たしに帰って来た。
「またな」
 わざと冷たく言い残して、僕は家路に着いた。傾きかけた秋の夕日が、急な坂道に僕の影を長くつくった。ふと振り返ると、きれいな空が僕の胸にも広がった。

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