essay

僕はジダン?

 サッカーのワールドカップが終わった。この1か月間、完全に試合時間に合わせた生活をしていた僕は、全ての仕事とつき合いと家庭と恋を犠牲にして盛り上がってしまった。結局なんだかんだ言って、やはりブラジルは強かった。フランス、アルゼンチン、イタリア、スペイン、ポルトガルといった強豪国が思わぬ敗退をした一方、日本、韓国はよくがんばった。好みの問題は別として、僕が一番驚いたのはセネガル。アフリカ勢の選手はみんなそうなのだが、あの運動能力は一体なんなのだろう。自分でも自分の動きが説明できないのではないかと思うほどの驚異的なスピードとパワー。感心するのを通り越して、笑ってしまうのは僕だけだろうか?

 実は年甲斐もなく、あるクラブチームでバスケットボールをやっている。と言っても、いわゆる草バスケットで、どこかのリーグに所属しているわけでもなく、下は19歳から上は50歳まで幅広い年令層で、しかも男女混合で楽しくプレーをしているお遊びチームだ。1週間に1、2回からだを動かし、いい汗をかいて、練習後においしいビールを飲む。むしろこちらの方が楽しみだったりするのだが、ただひとつ自慢できることは、すでに10年以上も続けていることである。なにごとも継続は力なり。
 このバスケットボールのチームは、千葉県浦安市にある体育館で練習をしている。ここはJリーグに所属するジェフユナイテッド市原も練習に使っていた施設だ。今はジェフユナイテッド市原の練習場は、名前の通り市原市に移転してしまったのだが、サッカーグラウンド、体育館、ロッカー、風呂などの素晴らしい設備がととのっている。
 何年か前までは、従ってジェフユナイテッド市原の選手たちがうろうろしていて、こちらの集まりが悪い時などには、一緒にバスケットボールをやってもらったことが何度かある。そんな時、積極的に参加してくれるのは海外からの移籍選手たち。なかでも知る人ぞ知るハシェックはよく一緒に遊んでくれた。彼らはもちろんバスケットボールを習ったことがない。体育の授業でやったことがあるという程度である。しかし一流の選手たちは、我々とは全く次元が違ったのである。住んでいる世界が違ったのである。
 まず彼らとプレーしてすぐに感じるのは、速いことである。なーんだ、当たり前じゃないかと思うかもしれない。我々だってそんなこと百も承知でプレーするのであるが、やはりそれを目の当たりにすると、これまた笑っちゃうくらい速いのである。
 我々だってみんなそれなりにどこかで体育会系バスケットボールをやってきたわけだし、そこそこに運動能力だってあるつもりだ。小学校ではいつもリレーの選手だったし、学生の頃はどんなスポーツだってそつなくこなした。今だって町内会の運動会ではヒーローだ。でも、だからそれがどうした! 相手は国で何番、あるいは世界で何番というヤツらである。彼らの動きが見えないのである。極端な話、フェイントが見えないから引っかからないのである。嘘ではない! ルーズボールに飛びつく速さといったら、まるで加速装置のついたサイボーグ009と生身の人間くらい違うのである。
 そしてもうひとつ、感心して口をあんぐりあけてしまうのは、彼らは見たことができるということである。バスケットボールを本格的に習ったことのない彼らは、我々の動きを見て、それを真似る。しかし、我々が10年かけて身につけたことを、たった1度でやってのける。
「へー、シュートはそうやって打つんだ。こんな感じかな?」
「なるほど、パスはそうやってもらうんだ、サッカーのあの動きに似てるな」
「あっ、こういう時はだいたいこの辺にいればいいわけね」
「よっと、こんな感じでフェイントして、パスしてっと」
 ってな具合で、ボールをどうやって持つとか、その時足のさばき方はどうでなんていうことを教える必要は全くなく、自分たちの目で確かめればそれをからだに伝達できるのである。普通サッカーにはサッカーの動き、バスケットボールにはバスケットボールの動きというものがあり、本格的な教育を受けていればいるほど、それぞれの固有の動きが身についていて、なかなかそこから抜け出せないものである。しかし彼らにはそれもない。僕たちの今までの努力はいったいなんだったのだろう? 必死に練習したあのシュートはいったいなんだったのだろう? 数々の疑問とあきらめが沸き上がってきて、最後にはやはり笑ってしまうのである。DNAの違いを痛烈に感じた瞬間である。

 一緒に遊んでくれたジェフユナイテッド市原の選手たちには大変申し訳ないが、ワールドカップで活躍する選手たちはもちろんそれ以上のはずである。いったいどれくらいの運動能力なのか想像もつかないし、テレビを見ていてすごいと感じる選手たちは、間近で見たらどんなにすごいのだろう? 自分たちが必死で走って、ぜいぜい息をしながらバスケットボールをやっているのをビデオで録って見たことがあるのだが、あんなに一生懸命動いているつもりなのに、それはもう止まっているようにしか見えないのである。これ嘘じゃありません。機会があったら一度試してみて下さい。でもテレビカメラも追いつかないくらいのあの選手たちのスピードは、生で感じたらきっと本当に笑っちゃうでしょう。彼らは、絶対に飛んでいるハエを捕まえるくらいなんてことはないはず。

 そんなワールドカップの興奮も覚めやらず、自分までがなんだか少し運動能力が高くなったような勘違いのなかで、バスケットボールの練習に行った。もちろんいつものように入念に準備運動をし、無理をしたわけでもなく、限界を超えた動きをしたわけでもないつもりなのに、それは突然起こってしまった。プチっという鈍い音がした瞬間、右足が思いっきりつった状態になり、もう動けない。ただ走って、勢いよく止まっただけだというのに。
 病院へ行くと「右足ふくらはぎの筋肉をおおう膜が切れた」との診断。つまり肉離れの一種。全治2週間。
 ガチガチにテーピングされ、この蒸し暑い梅雨の時期に包帯ぐるぐる巻き。まともには歩けないので、杖をついて歩いている状態。あー情けない。

「へー。肉離れだなんて、ジダンとおんなじじゃーん!」
 にわかサッカーファンの女友達が、電話の向こうで屈託なく笑った。

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